初めに
こんばんはフェイスです。昨日に引き続いての更新となります。前回の投稿の後、今日は何を書こうかと考えていたのですが、ふと思ったことがありました。それはこのブログのサイトタイトルをまだ説明していなかったということです。
このサイトは、「学びときどき無邪気」というタイトルです。ぱっと見た感じでは、よくわからない人が多いと思います。「学びってことは勉強でもするの?」「ときどき無邪気になるの?」「子供が書いているの?」など様々な疑問が出てくると思います。今日は、そのような疑問を掘り下げて、このブログのコンセプトを説明していこうと思います。
サイトタイトルの根拠
結論から言うと、「学びときどき無邪気」というタイトルの根拠は、私自身が憧れている生き方です。
私にとって魅力を感じる人というのは、「新しいことに好奇心を持ち、それを楽しみながら子供のように笑えるひと」です。そんな人になりたいという思いを身近に持ち、自己表現をする場所としてこのブログを立ち上げました。
私自身、仕事、遊び、趣味などで多くの人たちと交流がありますが、お世辞にも人づきあいがうまいタイプではないという自覚があるのです。例えば、テレビでバラエティ番組を見ていても、みんなと笑う場所が違うといったことがあります。こういった「普通の人はこうだよね」に当てはまらない自分を実感するたびに「人との関わり方の正解」を自分の中で探していました。
しかし、そうして周りを見ながら自分のふるまいを決めるという生き方を繰り返しているうちに、だんだん「自分に嘘をついて生きているんじゃないか」という思いが浮かんでくるようになりました。場になじむということは大切ですが、一方で自分の素直な気持ちはどこにあるのかがわからなくなることが多いのです。
幸せに敏感になる
私の周りには、仕事や趣味に一生懸命で、会うたびに「最近はこんなことをやっているよ」という話をする人がいます。そういう人は笑顔で楽しそうに話します。それがとても魅力的です。
一方で、愛想がよくなく、何を考えているか分からない人、目を見て話してくれない人もいます。そんなとき、私はしょんぼりした気持ちになります。
しかし、それは同時に恐怖感にもなります。もしかしたら自分も人に対して同じようなふるまいをしていないだろうかと。これらは持って生まれた性格と言ってしまえばそれまでですが、どちらが魅力的でしょうか?
私は前者の方が魅力的に見えます。理想と現実のギャップに悩みながらではありますが、私自身が人と関わるときは、話を盛り上げること、楽しいムードを作ることを意識しています。もちろん相手がいることなので、思い描いた理想が毎回実現するわけではありません。それでも、ただ能天気で明るいだけではなく、目の前のことに一生懸命取り組み、そしてそれを楽しめる人、笑顔が素敵な人というのは自身が幸せなだけでなく、周囲の人にも幸せを与えてくれます。
だから私もそういう生き方、好きなことに全力でぶつかり、自分の頭で考えて自分の足で進んで、楽しいときは子供のように無邪気な笑顔になることを目標にしています。好奇心が旺盛で笑いをとれる人ってめっちゃかっこよくないですか。
率直な思いのあとに
ということで、ここまでで「学びときどき無邪気」というサイトタイトルについてざっくりですが説明してきました。あまり長々と書くのも読み疲れすると思ったので、短くまとめたつもりですが、それがやや説明不足に感じられるかもしれません。そこに関しては次回以降に少しずつ埋めていこうと思います。
どれくらいの頻度で更新するかはまだ未定ですが、今後はもうちょっとまとまった内容にしていくつもりです。最後までお読みいただきありがとうございました。それではおやすみなさい。
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