こんばんは。フェイスです。今日は、上記の動画の感想を書いていきます。私はこの「フェルミ漫画研究所」が好きで、これまでにも多くの動画を見てきました。切り抜き動画ということで、2冊の本が紹介されているのですが、今日は1冊目の「本当の勇気は『弱さ』を認めること」(ブレネー・ブラウン著)の内容に触れていきたいと思います。全部は紹介せずに部分的に印象深かったところを取り上げて、私自身が感じたことを書いていきたいと思います。なお、後半の「いくつになっても恥をかける人になる」(中川諒著)は次回の更新でやっていきたいと思います。
本当の勇気は弱さを認めること(1:23~)
いきなりずどんとくるテーマですね。ここでは、私たちは新しいことに挑戦するとき、失敗して恥をかきたくないからできるようになってから挑戦しようとする。そうすると、挑戦するのが遅くなりチャンスを逃がしてしまうことがあると解説されています。大事なのは、ありのままの自分を受け入れ、挑戦するということ、それこそが真の勇気であり、称賛に値するといわれます。私たちは何か新しいことを始めようとしても失敗が怖くてなかなか一歩目が踏み出せないということは多いです。
私は会社の行事で未経験のスポーツをやることがあったりすると恥をかきたくなくてユーチューブでうまい人の動画を見てから本番に臨むことがありましたが、案の定そんなにうまくは行きません。この動画を見てそんな苦い思い出が脳裏に浮かんできました。
下手にかっこいいところを見せようと思わずに、ありのままの自分を出して、失敗しても「てへっ」と笑っている方がよっぽどいいと思いました。都合よく本番で能力以上のものが出るなってことはまずないものです。ただ失敗したときに仲間にため息をつかれると結構グサッと来ます。まだ笑って許してもらえる方が傷付きません(小声)
嫉妬や不満の原因は欠乏感(4:16~)
これは、今の自分に満足できずに劣等感を感じてそれが妬みや攻撃的な態度になるというものですね。動画でも紹介されていますが、私たちは自分の手の届かないものをたくさん求めていると。お金とか見た目とか地位とかが多いでしょうか。そういうことばかりを考えていると嫉妬や不満につながっていく、「足ることを知らない」ということが問題だということですね。
私は富山県出身なんですが、子供のころにミニ四駆が流行っていて、東京でしか買えない青色ベアリングローラーが欲しくて仕方なかったのです。持ってる友達がうらやましくて仕方なかったですが、親に頼んでも東京に連れて行ってもらえるわけではなく、かといって自力で行くこともできない。あの時の無念は今でも忘れられません。それも今となっては話のネタとして使えるのでいい思い出ですw
欠乏感に対抗できるのは充足感(5:42~)
欠乏感の根っこにあるのは「恥」と「比較」であるといわれています。完璧じゃない自分を恥じたり、他者との比較から自分には何かが足りないという欠乏感が生まれてしまう。この欠乏感に対抗できるのが「充足感」だとここでは言われています。
要するにありのままの自分でよいと思えるかどうかですね。私たちは自分に足りないものを埋めようとしがちですが、それ以上に自分が今持っているもので満足感を得られるかどうか、これが充足感につながるということですね。生活必需品のように必要だから求めるということと、心の内側から湧き起ってくる欲望のままに求めるというのは違うのですが、欲望は厄介なもので私たちから冷静な判断力を奪うことが多いと思います。
欲が先行するときって本当に他のことが考えられなくなりますから、いったん冷静になって深呼吸してみるなんて効果的かもしれません。そうすると案外冷静になって今のままで十分幸せと思えるかもしれません。
屈辱感も恥とごちゃ混ぜにされやすい言葉(9:40~)
例として上司に怒られたときのことが出てきますが、怒られたときに「確かに自分はダメな人間だ」と思うのが「恥」で、「なんでダメ人間呼ばわりされないといけないんだ」というのが「屈辱感」だと解説されています。
屈辱感は恥と違って、心を閉ざしたり、問題行動をとったりするわけではなく、問題を解決しようと前向きな行動につながりやすいので恥よりはましだといわれています。
私も上司に怒られたことが何度もありますが、どちらかというと私は素直ではなかった方なので恥よりは屈辱感を感じていた方かもしれません。
人に話すことで恥から回復できる(10:08~)
ここでは、恥から立ち直ることの重要性が出てきます。恥からの回復は誰かに恥の体験を話すことが大切だと言われています。恥の体験とそのときに感じたことを人に話すことで恥から回復できるといわれます。
逆に恥を誰にも言えずに自分の中に押し込んでしまうとそれがどんどん膨れ上がっていき、壊滅的な行動につながるといわれます。
失敗や恥ずかしい体験を人に話すことは勇気がいることですが、それが共感を得られれば恥から解き放たれ、すっきりとした気分になれるのです。
めっちゃわかりますね。よく自分の失敗談とかを恥ずかしそうにしながらも人に打ち明ける人がいますが、それのことかなと思いました。話し終わってから晴れやかな表情になっているように思います。
逆に誰にも話さずに心の中に隠したままにしようとすると妙な息苦しさを感じちゃったりします。私の場合は数えきれないくらい恥や失敗談があって中には人に話せないようなものもありますが・・・・・
完璧主義という盾を捨てる(11:37~)
これは見ていて少しびっくりしたのですが、完璧主義は目標達成や成長への努力ではなく、むしろ守りの姿勢であるといわれています。そして「完璧主義の心理というのは避難や批判、恥による痛みを回避できるという思い込み」と続きます。そして「それは向上心ではなく、人から褒められたいという称賛の追求である」と続きます。
健全な努力→「どうすれば自分を成長させられるか」←自分に目が向いている
完璧主義→「人からどう思われるか」←他人に目が向いている
上記のような感じで説明されているのですが、そもそも完璧主義というものは存在しない。人からどう思われるかは自分にはコントロールできないし、完璧主義は人から攻撃されないこと、人から褒められることを目指すもので、虚しい頑張りに過ぎないとここでは説明されています。
この完璧主義から解放されるには、完璧ではない自分を受け入れること、弱さや不完全さを受け入れないと私たちはいつまでも完璧を演じ続けることになるといわれます。
完璧主義はまああると思います。色気とかやっぱりでますから。人目を意識してカッコいいところを見せたいっていう意識はこれまでどれだけあったかわかりません。でもあるとき気づくんですよね。完璧主義をめざしているけど、「これ無理じゃない?」って思って「そもそも完璧ってなんだ?」とか考え始めたり。これに気づくタイミングってあるとき急に来るんですけど、仕事でも勉強でもスポーツでも「これでいいかな」と「まだまだもっと」の狭間でずっともがいてるんですよ。
自分自身との戦いをどこで終わらせるかに正解はないですから、自分が決めたところがゴールという考えが大切なのかなと思います。熱くなりすぎちゃって自分を見失うっていうのがあるあるですから。
終わりに
とまあこんな感じで、今日はフェルミ漫画研究所【フェルミ切り抜き】の動画を取り上げさせてもらいました。結構省略して短めにまとめているので、全部通して見たいという人のために冒頭で動画を埋め込んであります。これを見てると、普段の私たちって無意識にこれだけ自分を守ろうとして生きているのかと思わされました。そんな無自覚なことを自覚させてくれる動画でした。
弱さを認めることって本当に勇気がいりますよね。そもそも弱さは甘えだって子供のころから刷り込まれて、学校でも職場でも完璧主義を理想とする環境で生きてきましたから、そんなときにちょっと立ち止まって自分を見つめなおすきっかけになる内容だったんじゃないかなと個人的に感じました。
次回は、動画の後半部分のまとめと感想を書いていきたいと思います。今日はブログ記事をお読みいただきありがとうございました。では、おやすみなさ~い。
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